’60s東京グラフィティ -プロデューサー日記-
東京渋谷で2006年のGW(ゴールデンウィーク)に開催されるイベントの準備からスタートまでの記録
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VANという生き方 ⑧
企業PR誌「VAN MANUAL」は、特集(例えば、LDKが変えるライフスタイル……そんな時代だったのだ)、ショップ訪問、ディスプレイ講座、クリッピング・ニュース、定点観測などで構成されている季刊誌。追い込まれるようなスケジュールでもないため、他の仕事の合間を縫うようにして、プロダクションと企画会議を何度か開き、じっくりと進めていくことができた。
いずこでも行われている、言わばまっとうにしてありきたりの制作手順ではある。しかし、新入社員には時として荷の重いものでもあった。
それでも僕は、稚拙なアイデアや編集方針を手慣れたスタッフにブラッシュアップしていただきながら、なんとか鮮度を保ち、時には冒険をしようと試みた。
そんなある日、調査会社の人と飲んでいる時のことだった。秋も深まり始めた頃だったように思う。僕の中を、ささやかな閃きが突き抜けた。
「Skillより、Willだ」という言葉となって、その閃きは頭に残った。データから何か生まれるのだろうか、何かが本当に見えてくるのだろうか、平均などというものは当てになどならない、などと酔眼で食い下がっていたその時だった。
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この記事に対するコメント
アンクルKさんの企業広報誌はぜひ読んでみたいものです。当時の若者の感性や冒険など非常に興味がつきません。当時、感受性の一番強い時期に「VANやアイビー」に洗礼を受けた自分もやはり当時のVANの持つエネルギーと普通の企業にはない「遊びを仕事にする」や「文化風俗を作る」という事、企業と社会との関わり方の模索「ヴァンガード(フットボールチーム)や99ホール」に代表されるものに形として表し、それを俺を含む当時の若者はカッコイイ会社だな!と誇らしく思っていた。結局、78年に企業は倒産という形で幕をとじたが、文化風俗はそれ以降、十年サイクルでなにかと話題を巻き起こし、第三次アイビーブームやトラッド、渋カジ、アメカジ、プレッピーなどと名前を変えながらもファッションばかりでなく風俗に寄与した。スポーツはフットボールやクルマのレースなどといまだに多くの若者から団塊の世代の生き様にまで多大なる影響を残している。戦後の文化風俗は、ヴァンが一つの方向性を示し、それを個々が昇華し自己形成にまで関わったという事は、自分にとってもとてもリアルタイムで64年からアイビーを知り、実践し自分なりの答えをだすことができ、行き方に影響を与え価値観まで変える源になったことはゆがめない事実です。堅くなってしまいましたし、途中乱文になりましたが「アイビー&トラッド」って素晴らしく奥深いですね。だから、40年以上やってこれたのかな(笑)駄文にて
【2006/03/30 22:54】 URL | ぶらぼ~不良鈴木 #2DdjN05. [ 編集]

こんにちわ~
アイビーおじさんと申します。なつかしのVAN MANUALが出てきました。NO.50の表紙について、もしわかれば教えて下さい!
【2006/03/31 17:03】 URL | アイビーおじさん #- [ 編集]


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